喜代子さん

いつもオルガンの練習をさせていただいている
みどりが丘ふくしかんの志村喜代子さんが亡くなったという

突然の、あまりにも悲しいお知らせが届いたのは、

新年が始まって間もない、1月の寒い夕方のことだった。

3月4日に、ふくしかんのすぐそばにある立源寺でお別れの会が行われた。

会には同年代の7、80歳台の方ばかりでなく、

みどりが丘保育園の卒業生がその子どもを連れて来たりして、

老若男女、250人以上はいらしたのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふくしかんに練習に行くと、喜代子さんは会うたびに

ご苦労さま、えらいねえと褒めてくれた。

弾いている曲や、着ている服や髪型や、

いつもなにかを探して、あら素敵ねえ、と必ず褒めてくれた。

時々「美味しいかわからないよ〜」と言いながら、

手作りの、いかにも喜代子さんらしい

素朴な味のおやつを持ってきてくれたり、

ご飯を食べさせてくれたり、

たまにはそのお礼に、甘い物好きな喜代子さんに和菓子を買って行って、

オルガンの長い椅子に、

鍵盤に背中を向ける格好で並んで座ってお茶を飲んだりした。

 

いつだったか駅前でばったり会った時に、一緒にいたお友達に

「この人はねえ、みねこちゃん。そうねえ、」

と言った後しばらく考えてから

「わたしのお友達よ…

というか親戚みたいなものよ。ね?」

と紹介してくれて、かわいく笑ってわたしに同意を求めた。

クリスマスコンサートの前には、

志村夫妻と3人で飾り付けをするのが毎年の恒例で、

ひそかな楽しみだった。

一昨日ふくしかんのコンサートでは、

ルーシーが喜代子さんのために

アンコールにバッハのゴールドベルク変奏曲の冒頭のアリアを弾いてくれた。

会場には喜代子さんのご家族をはじめ、

彼女をよく知る人がたくさんいらしていたので、

まだ深い悲しみを抱えながら、

忘れがたい、美しい時間を一緒に過ごした。

喜代子さんはいつも誰かのために動いていて忙しかったのに

庭に咲く花を摘んできては、こんな風にさりげなく、

でも絶妙なバランスで飾っていた。

いくつになっても、そっと咲いている野の花のように

かわいくて優しい、優しい人だった。