マルチェーナのドン・アントニオ

スペインのセビリャ近く、マルチェーナのサン・セバスチャン教会の司祭の

ドン・アントニオが亡くなったという悲しい報せを受けたのは、

マルチェーナを含めたスペインのアンダルシアと、

北イタリアのドロミテへの旅を終えて日本に帰る飛行機を待つ、

ミラノの空港でのことだった。

最初の出会いはアンダルシア・オルガン・アカデミーに参加した

2006年にまでさかのぼる。

練習のためにドン・アントニオの教会を訪ねて、

これまで見たことも聴いたこともなかったスペインのオルガンを夢中で弾き、

けたたましいトランペット管を鳴らし続けて以来

señorita trompeta 「トランペット娘」と呼ばれた。

さぞかしうるさかっただろうに「さあ弾け!もっと弾け!」、

帰るときは「明日はいつ来るんだ?」と言うので、

この街にいる間はいつも2つの教会を往き来しながら一日中弾いた。

教会の隅に積まれた古い、大事そうな本や楽譜、資料の山から本を取り出しては、

当時ちっともスペイン語がわからなかったわたしに、

そんなことはおかまいなしに早口で説明してくれた。

たばこをスパスパ吸いながら。

じつはそれまで明らかにされていなかった、

オルガニストで作曲家のコレア・デ・アラウホの生年と出生地を、

1584年9月のセビリャだと突き止めたのは、

チャーミングな笑顔のこの人だと言うから驚きだ。

コレアのことをなんだか親戚みたいに話すのも、

ここに来ると400年も前に生きたコレアを近くに感じるのも、

こういうわけだったのだ。

探してみたら13年前にマルチェーナの2つの教会の司祭と一緒に撮った、写真が出てきた。

みんな若い。

やっと少しスペイン語を話せるようになったら、

ドン・アントニオは旅立ってしまった。

さみしい。さみしいよ。