神戸の智恵ちゃん

3月中旬に神戸新港教会にある、ミーントーン調律で

いくつかの黒鍵が2つに分かれているサブセミトーン、

ショート・オクターブのガルニエ・オルガンの

コンサートと講演を聴きに行った。

 

この日はものすごく寒くて、嵐のように強い風の中、

時折みぞれが舞ったり、

礼拝堂内に急に陽の光が差し込むような不思議な天候の中、

ルネサンス時代と現代に作られた曲を行き来するプログラムを楽しんだ。

 

この機会に、大阪の高槻の伯父、伯母の家に2日間泊めてもらって、

神戸の施設で暮らす92歳の大叔母を訪ねることが叶った。

 

この大叔母は父方の祖母の妹で3姉妹とても仲が良く、

わたしも会う機会が多かったので、

祖母を真似て「智恵ちゃん」と呼んで慕っていた。

 

智恵ちゃんの施設を訪ねるまえに息子さんから、

「母はもうあなたのことがわからないと思います。」

と聞いていた。

 

会ってからしばらく、昔の写真を見せたりしながら話しているうちに、

「秀隆ちゃん(わたしの父)は早くに逝ってしまったなあ。」

と呟いて、しんみり泣いた。

 

その後記憶のある部分の回路がつながったようで、急に

「みねちゃん、みねちゃん、どうしてここがわかったの?

こんなに遠くまで来てくれて、ありがとう、ありがとう。」

と言ってまた泣いた。

 

帰りがけに三宮を散歩して伯母と食べた

ふわりと軽い明石焼きが忘れられない。

 

東京に戻って、仕事で遅くなってくたびれて帰ったある日、

やっと作った目玉焼き定食。

伯母が持たせてくれたいかなごの釘煮が美味しく、ありがたい。

しばらくごはんやお弁当のお供になった。

 

春になると智恵ちゃんがよく作ってくれたのを思い出す。